• 輪の魔女としての萌芽は今から二十八年前のことでした。吉川晃司の映画「テイク・イット・イージー」の吉川の恋人役募集(結果的に妹役に変更されましたが)のオーディションが全国展開で開催されました。 鈴木輪(当時は鈴木りえ)は広島地区から出場して、全国十万人の応募者の中から東京での最終審査十人の中に選ばれました。グランプリは「つみきみほ」でしたが、最優秀歌唱賞が設けられており、わたしは十人の中で実力が圧倒的に抜きんでてた輪が当然受賞すると予測しておりました。 ところが発表では無情にも別の出場者の名前が読み上げられましたのです。その瞬間、輪の実に悔しそうな表情をわたしは見逃しませんでした。
    普通、輪の立場では嘘でも笑顔を見せて拍手をするところなので、そこが輪の魔女たる所以です(笑)。
    無類の気の強さとプライドはそこらの一般人のような態度を取りません。本音で生きる輪の魔女たる片鱗がここにあります。
  • 当時、わたしはレコード会社の責任者のひとりで、吉川晃司スタッフに頼まれてレコードデビュー前提で輪を預かることになり、輪とはそれ以来の縁ではあります。しかし預かって間もなく、輪は吉川晃司スタッフと二十歳にならないかで電撃結婚、一児をもうけてのちに離婚、離婚をきっかけにジャズボーカリストへの道を目指し、サポートバンドメンバーのベースマンと再婚して現在にいたるわけです。結婚、出産、離婚、再婚というこれだけの四つの人生の節目を経てるというだけで同世代の女性たちをかなりふるい落としてしまうのに、現在の顔はジャズボーカリスト、スタジオ経営者、ジャズボーカル教室運営、妻、母と怪人二十面相ならぬ魔女五面相(笑)をこなしております。 二十八年前、吉川晃司の映画「テイク・イット・イージー」のオーディションを受けた輪以外の約十万人は今はそれなりに静かな四十代を送っているでしょうが、魔女の輪は日々変化に富んだ生活を送っております。いや、自ら変化を作り出して楽しんでいるという言い方の方が正しいかも知れません。 変化をこよなく愛する、そしてその変化で多くの人びとにゆさぶりをかける、これが魔女の特徴です。
  • 現代の魔女、輪が空を飛ぶ時使うのは従来的なイメージの単なる竹ボウキではありません。Swingする音符を束にしたホウキなんです。輪が飛ぶ空とはライブのステージという空間ですね。
    最近、「魔女」鈴木輪の気になる噂を耳にいたしました。ホウキではなく円盤に乗るとか、いやいやよく聞くと円盤に乗るのではなくて小さな円盤、CDニューアルバム「Blue Velvet」をリリースするとのことでした。
  • 「Blue Velvet」と言えば、アメリカのポップス歌手ボビー・ヴィントンが1963年にリリースした楽曲ですが、アメリカのヒットチャート誌のビルボードで63年9月に首位を取っております。ボビー・ヴィントンはこの「Blue Velvet」に続いてリリースした「There!I've Said It Again」が1964年1月にビルボード首位、さらに同年リリースの「Mr. Lonely」が12月にまたもビルボードで首位と二年間にヒットチャートで首位を三度も取ると言う金字塔を打ち立てているのです。 「Mr.Lonely」はFM東京(現TFM)の人気深夜番組「Jet Stream」のテーマソングとして現在も放送中です。
    プレスリーやポールアンカ、二ールセダカほど日本では知名度は高くありませんがボビー・ヴィントンは彼らに劣らぬ大きな実績を残しています。 ボビー・ヴィントンが「There! I've Said It Again」でビルボードで首位を取った1964年の1月の翌2月ビートルズの「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」がビルボードの首位を獲得、以後ビートルズ旋風がアメリカ全土に吹き荒れ、2ヶ月後の4月4日付けのビルボード誌では1位「Can't Buy Me Love」、2位「Twist and Shout」、3位「She Loves you」、4位「I Want to Hold Your Hand」、5位「Please Please Me」と何と1位から5位までをビートルズが独占しております。ポップ・ミュージック界の既成概念が根底から覆され、ミュージック・シーンが地球レベルで革命的に塗り替えられた瞬間ですね。 そういう意味では、ボビー・ヴィントンは良き時代の最後のアメリカンポップス・スターと言えましょう。
    このボビー・ヴィントンの「Blue Velvet」に触発されて、映画監督の名匠デヴィッド・リンチが1986年に映画「Blue Velvet」を製作し、主演はかの映画史上に残る大女優イングリッド・バーグマンの愛娘イサべラ・ロッセリーニが演じました。
    この映画はのどかな田舎町を舞台に暴力的で退廃的な人間模様を描き、ニュータイプのミステリー映画として話題を呼びましたが、不法侵入、覗き見、性的虐待の描写、暴力シーンとセンセーショナルな内容に公開当時は論争を巻き起こし、非難の声も多く寄せられたのです。後に名作と評価され多くの映画賞を受賞しましたが、「後世が歴史を評価する」という好例ですね。
    どうでしょうか、半世紀前のアメリカンポップスの一曲でこんなに語れてしまうということは驚くような話ではありませんか。
  • この「Blue Velvet」という楽曲には、とてつもない埋蔵量、魔力があるのでしょうね。魔力のあるものに手を出すのは魔女しかおりません。
    そんなミステリアスな楽曲「Blue Velvet」を鈴木輪がこのたび、その魔女の手でジャズの世界に引き込みカバーいたしました。「Blue Velvet」の歌詞の「星から来たサテンより柔らかい青いベルベットを着ている女性」は実にミステリアスでそれこそ魔女鈴木輪を彷彿させると思いませんか。
    半世紀の間、ポップスの名曲として人々に愛され、センセーショナルな映画のモチーフとして取り上げられた楽曲「Blue Velvet」を新解釈で歌いあげ、世に真価を問おうとしている鈴木輪はやはりただ者ではありません。この秋、JAZZ魔女鈴木輪はジャズ好きの多くの人を「Blue Velvet」という迷宮の宮殿にいざなおうと しているのです。
  • 宮殿では十幾つかの魅惑の部屋があなたを待っています。 「Moonlight In Vermont」、「Autmun In Newyork」、「A Foggy Day」、「On a Clear Day」といったスタンダード中のスタンダードあり、懐かしの50年代ポップスの「Tennessee Waltz」あり、はたまた映画のテーマ曲「It Might as well be Spring」、「A Man and a Woman」ありと、輪が手ぐすねひいて設定したデザイニングが妖しいオーラを放っております。 鈴木輪の身上は、私見で誤解を恐れず敢えて言えば「抑制の効いたエロス」といったところではないでしょうか。
    28年前レコード会社在籍のわたしが輪を預かった時、彼女のソウルフルな歌唱はR&Bに向いてると見当をつけていました。しかし、輪はその後の人生の試練を乗り越えていく過程で、持ち前だったたぎるマグマ的な歌唱を「夜のためいき」のようなSophisticatedなJAZZの世界に昇華していきました。あるいは美人でグラマラスな輪が、ShoutするようなR&Bを手がけるとToo Muchになると本能的にバランス感覚を働かせたのかも知れません。長い付き合いの中で、何故かそのあたりは聞きそびれておりますが、聞いたところでこの魔女は「ヒ・ミ・ツ!」とか言ってはぐらかしそうです。まぁ、企業秘密みたいなものですものね。
    秋の夜長を「Blue Velvet」のミュージック・イリュージョンとも言える魔力に身をまかせて酔いしれることは、「今でしょ!」、「じぇじぇ」、「倍返しだ!」と何やらかまびすしい今年の喧騒から離れて、ひと時を心と身体を休ませるのに効き目があると思います。それが「リンノミクス効果」(笑)です。
    それにしてもJAZZ魔女鈴木輪はどこに向かっているのでしょう。シンガーとして目指しているのはエラ超え、サラ超え、それともビリー超え?何を企んでいるのか、時々輪のPeformanceのすべてがFakeに思えるのです。
    あなたに見えてる鈴木輪はまだまだ真の輪ではないでしょう。想定外の進化を続けるJAZZYな魔女鈴木輪からくれぐれも目を離してはいけません。
  • ライナーノーツより by森弘明(2013年10月)